2016年12月04日

債務者になってしまった経緯 その5

そして、とうとう、借金は150万に膨れ上がってしまいました。

この辺の金額になってくると、なかなか、返済が大変です。

パチンコによく行っていたせいか、借金のせいなのか、職場との人間関係もギクシャクし始めていました。

「仕事やめたいなーー」

と思っていたころ

「パニック7ゴールド」というパチンコ雑誌で連載していた。借金647万円を旅打ちで返済していくという実録漫画「パチスロひとり旅」を読み、

「これだ! 」

と思った私は、パチプロになることを決意。

今思えば、あの頃は、ほんとにどうかしていました。

ただのアホなのか、冷静さを失っていたのかわからないのですが、この考えが最良の考えだと信じていました。


そして、職場に退職を告げ、晴れて、パチプロになった私は、毎日、パチンコ屋に通い始めました。

もう、すごいウキウキです。

なんといっても、好きなだけパチスロができる。まさに天職だ!

とまで思っていました。

ちなみに、名波誠さんは、旅打ちでしたが、私は、他県といってもお隣ぐらいの中範囲のジグマプロみたいなことをしていました。

そして、勝つために、色々なことをしました。

すべての店舗を下調べ、考えられるお店のメール会員になるデータチェックにハイエナ。などなど。

毎月の借金返済、家賃、電話代などの固定経費があるので負けるわけにはいかないので、毎日が必至でした、。

最初の3か月ほどは、借金も順調に返せて、それなりに楽しんでいたのですが、やはり負ける日もあり、赤字ギリギリの月などもありプレッシャーを感じる日々も多くなってきました。

半年を過ぎたあたりから、段々と楽しい、という感覚から、仕事に行っている感覚、どちらかというと作業をしているような感覚が強くなってきました。

そして、10か月あたりを過ぎたころから、パチンコ屋に行くのが段々と「おっくう」になってきました。

あんなに好きだったスロットなのに、見るのも嫌、触るのも嫌という状態になり、段々とパチンコ屋に行かない日が増えてきていました。


そうなってくると、収入が0なわけですから、さらに、借金をして、生活費に充てるという悪循環。

さすがに「どうにかしないといけない!」と思いはしたのですが、

「スロットをするぐらいなら働いたほうがマシだ」

という、当初とは逆の考えになり、私のスロプロという職は1年弱という短い期間で終了してしまいました。



つづきます。


 

借金の経緯の他の記事