- 2018年09月21日
債務者になってしまった経緯 その6
- パチプロをやめた後は、アルバイトでなんとか生計を立てて過ごす日々。
スロプロ生活で、一時は、スロット熱も冷め、1ヶ月ほどは、パチンコ屋に足を踏み入れることものなく真面目な生活を送っていたのですが、アルバイトの給料など微々たるもの、150万の借金が返せるわけもなく、利息返済で精いっぱい。
そうなってくると、「パチンコで返すしかない」と、またもや、パチンコ生活に戻ってしまいました。
スロプロ生活のトラウマというか、経験で、「スロットは楽しく打ったほうがいい」という、謎の理論で勝負しており、そんな、アホな理論で勝てるわけもなく、借金のスピードも加速。
このころに、借金人生、ピーク時の、借金が200万円に到達してしまいました。
こんな大金、とてもじゃいないですけど、アルバイトでは返せる金額ではないです。
一人暮らしもしており、携帯電はもちろん、電気、水道が止まるのもしばしば。
家賃も滞納しており、借金返済も滞納が多くなってきました。
また、借金を返すために、パチンコ屋に行き給料のほとんどを使ってしまい、返済が間に合わなくなる。という、悪循環。
食費を減らすために、米だけを買い、ほぼ毎日、白飯ばかり食べ、体重も10kgばかり減りました。
ちなみに、「人間は、つらいことは、忘れていく」という話を聞いたことがあるのですが、私は、この時期の記憶があいまいで、断片的にし思い出せません。
前後の記憶は結構あるのですが・・・とてつもなく、つらい日々だったのだけははっきりと記憶にあります。
そして、とうとう、某、消費者金融から、私の住んでいるアパートに取り立ての方が来ました。 (ここの記事に詳しく書いています。)
さすがの楽天家の私でも、この状況はかなり、ヤバイと感じ、ここで、親に相談することに・・・
この時の親の反応は、あまり覚えていません。
多分、怒られはしなかったと記憶していますが、借金の200万を返してくれるという話に・・・
この時、覚えているのが、借金が無くなるうれしさは、微塵もなく、ただただ、親に「もうしわけない」という気持ちで胸の中がいっぱいになっていたのを記憶しています。
余談にはなるのですが、この後、私は、また借金をしてしまうのですが、やはり、いろいろな人の話を聞くと、親や知人など誰かに借金を返してもらっても、また繰り返してしまう人が多いかと聞きます。
私なりの考えですが、やはり、自分の力で借金を返済をしたわけでは無いので、根本的な、借金をしてしまったことの反省や借金をどう返すか、どうしたら、借金をしないで生活ができるか、というのを考え、生活を改めていないので、もとの状態に戻ってしまうのではないかとうのが私の見解です。
まだ、返済の終わってない、私が言うのもなんですが、やはり、周りの助けは借りても、最終的には自分の力で返済するのが1番かなと思っています。
つづきます。
カテゴリー: 借金の経緯
- 2016年12月04日
債務者になってしまった経緯 その5
- そして、とうとう、借金は150万に膨れ上がってしまいました。
この辺の金額になってくると、なかなか、返済が大変です。
パチンコによく行っていたせいか、借金のせいなのか、職場との人間関係もギクシャクし始めていました。
「仕事やめたいなーー」
と思っていたころ
「パニック7ゴールド」というパチンコ雑誌で連載していた。借金647万円を旅打ちで返済していくという実録漫画「パチスロひとり旅」を読み、
「これだ! 」
と思った私は、パチプロになることを決意。
今思えば、あの頃は、ほんとにどうかしていました。
ただのアホなのか、冷静さを失っていたのかわからないのですが、この考えが最良の考えだと信じていました。
そして、職場に退職を告げ、晴れて、パチプロになった私は、毎日、パチンコ屋に通い始めました。
もう、すごいウキウキです。
なんといっても、好きなだけパチスロができる。まさに天職だ!
とまで思っていました。
ちなみに、名波誠さんは、旅打ちでしたが、私は、他県といってもお隣ぐらいの中範囲のジグマプロみたいなことをしていました。
そして、勝つために、色々なことをしました。
すべての店舗を下調べ、考えられるお店のメール会員になるデータチェックにハイエナ。などなど。
毎月の借金返済、家賃、電話代などの固定経費があるので負けるわけにはいかないので、毎日が必至でした、。
最初の3か月ほどは、借金も順調に返せて、それなりに楽しんでいたのですが、やはり負ける日もあり、赤字ギリギリの月などもありプレッシャーを感じる日々も多くなってきました。
半年を過ぎたあたりから、段々と楽しい、という感覚から、仕事に行っている感覚、どちらかというと作業をしているような感覚が強くなってきました。
そして、10か月あたりを過ぎたころから、パチンコ屋に行くのが段々と「おっくう」になってきました。
あんなに好きだったスロットなのに、見るのも嫌、触るのも嫌という状態になり、段々とパチンコ屋に行かない日が増えてきていました。
そうなってくると、収入が0なわけですから、さらに、借金をして、生活費に充てるという悪循環。
さすがに「どうにかしないといけない!」と思いはしたのですが、
「スロットをするぐらいなら働いたほうがマシだ」
という、当初とは逆の考えになり、私のスロプロという職は1年弱という短い期間で終了してしまいました。
つづきます。
- 2016年11月30日
債務者になってしまった経緯 その4
- スロットの面白さというか、爆裂機の面白さにきずき、毎日、パチンコ屋に足を運ぶ日々が続いていき、それと比例して、お金も無くなっていきました。
給料日前にはほぼ無一文。
ただ、若かったこともあり、遊びたい、パチンコにも行きたい、でもお金が無いという状況に。
そこで、禁断の果実に手を出してしまいます。
その頃ぐらいから、増えだした(もしかすると、前から結構あったのかもしれません)
無人契約機
「お金を作るにはこれしかない!」と謎の思考に陥り「無人契約機」へ直行。
ちょっと、話が脱線するのですが、その頃は、というか最近まで、なぜか
お金が無い→借りればいい
という頭の思考回路ができており、末期のときは、借金と自分のお金の区別がつかない状態になっていました。
話を戻します。
そして、人生初のカードローン、分割払いなどの利用はしたことがあったのですが、カードでお金が借りれるという初めての感覚。
この手軽さが、自分のお金と勘違いする原因なんでしょうね。
月末、お金が無くなると、キャッシング。
その次の月もキャッシング・・・キャッシング・・・キャッシング・・・
たしか、最初の契約の最高借入額30万円をアッという間に使ってしまい。
限度額の引き上げ相談をクレジット会社へ
あっという間に100万円前後までいきました。
20代前半の工場勤務ではかなりきつい金額にはこのころなっていたのですが
私は、「まぁ、パチンコで返せばいいか」
ぐらいにしか思っていませんでした。
ほんとクズですね。
次回に続きます。
- 2016年11月29日
債務者になってしまった経緯 その3
- そして、パチンコ店のアルバイトをやめ、工場へ勤務することに。
この頃から、一人でも、パチンコ店に行くようになっていました。
そして、そのころ、初めて出会った「大花火」というスロット。
1回の大当たりで771枚コインが出るという 博打性が高い機種です。
(今までの機種だと、1回の大当たりで300枚前後)
お金に換算すると1万5千円分のコインがでてくるというものでした。
ふらっと、ひとりで入った、パチンコ店ですぐさま、2連荘。
あっという間に3万円の勝ち。
その帰り、ウキウキで前からほしかった洋服を買いに行きました。
今思えば、この辺からすごくギャンブル性の高い機種が増えていったなーーーと感じます。
工場には何故かなんだか、パチンコやら競馬が好きな方が多かったおかげで、昼飯のとき、飲み会のとき、何かあれば、パチンコやら、飲み屋の話で、知らず知らずのうちに、どっぷりとスロットにはまってしまいました。
このころは、借金まではしなかったのですが、給料はほぼスロットで消えてしまうという日々。
スロットで勝っても、すぐに遊びやら服、飲み代などに消えてしい、貯金などほぼしたことは無いという、ろくでもない日々でした。
そして、仕事にも慣れてきた、1,2年目のとき
私の人生を大きく狂わせたといっても過言ではない機種、あの有名な「獣王」と出会いました。
AT機と呼ばれる 爆裂機です。
この機種は、出玉こそ「大花火」よりは少ないのですが、一度 当たりだすと、1日中当たりっぱなし、でも当たらない時はとことん当たらない。という、とんでも機種でした。
仕事帰りに、予備知識も無しに、「新台だから打ってみるか・・」と座ってみると。
「え・・・いつ終わるの?」
という、爆裂状態に。
結局閉店近くまで出っ放しの状態でした。
そして、次の日、私は、味を しめて、人生初の、朝イチでパチンコ屋に並ぶこという、安直な思考になり、私は朝がすごく弱かったのですが、ふっと目が覚め、ダッシュでパチンコ屋に向かうのでした・・・。
私が、並んだお店は結構ボロイお店で、10人ほどしか並んでないお店。
1人で並んでいると、常連の方が新参の私に、すぐに気づき、「君も獣王に並んでるの?」と聞かれるほど、お客さんの少ないお店でしたw
そして、その日もボチボチの快勝。
こうなってくると、「これは、毎日勝てるんじゃないか?」と淡い夢を見てしまうものですw
ただ、そんなに、調子のいい日が続くわけもなく、ここから私の地獄の借金人生が始まっていくのでした・・・ 。
続きます。
- 2016年10月16日
債務者になってしまった経緯 その2
- そして、高校を卒業するまで、一度もパチンコは一切やらずに卒業。その後、特にやりたいこともなく、ブラブラと毎日を過ごしていました。まぁ、そんな不良息子をよく思うわけもなく、毎日、嫌みを言われるので、日に日に家を出たい気持ちを募らせました。ある日、家を出ることを決意!っといってもフラフラしてた私に貯金などもあるわけもなく、敷金礼金を親に負担してもらいました。いや~。ホントに親不孝もの、決して裕福な家庭ではないのに迷惑をかけました。その時はなんとも思わなかったのですが今は本当に感謝しています。で、生活費まで、出しもらうわけにはいかないので、そこそこ給料のよかったパチンコ店へアルバイトに行くことに。今思えばアルバイトでよく一人暮らしなんか始めたなぁと思います。そして、なんとなく始めたパチンコ店でのアルバイト。最初は、すごくわからないことだらけでした。例えば、スロットの目押し。スロットはパチンコと違い、大当たりすると自分でボタンを押し大当たり図柄を揃えないといけないんです。お客さんの中には、スロットの回転している図柄がみえない方もいるのでそんな時は店員に頼んでくるんです。当時、ホール店員をしていた私は、最初はジャグラーですら目押しができませんでしたw数日すると、バイトにも慣れ近隣のパチンコ店に同僚や先輩、友達とスロットへ行くことになることも多くなりました。このころは、「007」や「花火」といったいわゆるAタイプという機械が多くギャンブル性も今よりは小さく、何度もお店に足を運ぶ度に、パチンコ・パチスロの「怖い」という感覚が小さくなってきたのかと思います。この辺から、スロットとパチンコにハマってきたんだなぁーーーと今振り返ると思います。続きます。